本プロジェクトの趣旨と目的

戦後初となる「日本人所有の機体による」、
「日本人パイロット」での零型戦闘機の国内での飛行

零戦はその開発の目的と歴史には二度とあってはならない悲しい歴史を背負っていますが、当時、日本の物作りに関する技術力を世界に知らしめた「日本の物作りの原点」とも言える機体です。

日本は長年の景気低迷、少子高齢化、社会保障問題、地球温暖化、東日本大震災や多くの自然災害からの復興、原発問題、TPP加盟によるグリーバル化などその環境は大きく様変わりしています。

日本は、ここで初心に帰り考え直す時期に来ていると考えています。

本機を里帰りさせることで、二次大戦世代の方から平成生まれの新生代の方まで多くの方が、「初心に帰り」、「何かを思う」、「明日を考える」きっかけになれることが最大の目的です。

なぜ今、里帰りなのか?

500km/hを超える最高速度と高い運動性能

ソロモン海戦中に追撃されたものとみられる機体が、1970年代にパプアニューギニアで発見されました。純国産の優秀な飛行機でした。当時の設計図を元にA6-M3のゼロ戦22型と同じ仕様に仕上げた機体で、修繕の際にはサイズなどの違いでロシア(旧ソ連)のメンテナンスチームも作業に加わり38万時間という作業時間を費やして飛行可能な状態にしました。エンジンはオリジナルの栄エンジンは修理できる状態ではなかったので保管され、PRATT&Whitney社製のエンジンを搭載しています。

修理を終えて1999年には映画「パールハーバー」の撮影で飛行し以降、米国のイベントや雑誌の撮影メンテナンスの為に飛行しています。3000km飛行可能と言われております。

世界で4機しかない存在しないゼロ戦※レプリカを除く

1970年代にパプアニューギニアで発見された後、1980年代にはサンタモニカ博物館へ収蔵されていました。1990年代初頭にはカルフォルニア、ロシアにてレストアが開始され3000km飛べる様になりました。今現在はアラスカ州アンカレッジに保管され整備されています。

軽量化による高い余剰馬力のため500km/hを超える最高速度と高い運動性能、長大な航続距離などが優れていた。特に軽量化はボルトやネジに至るまで細部にわたり徹底化された。

私たちがお伝えしたいこと

日本のモノづくりの原点がわかります

ゼロ戦の技術は日本人持つ精巧さなどから生まれた結晶であり、その精神は現在の日本製品に受け継がれていると思います。ゼロ戦は現代日本のモノづくりの言わば原点なのではないでしょうか。

今日本経済は色々な要因が重なり元気がなくなっているように感じます。そんな今だからこそ、原点であるゼロ戦に着目し、生まれ故郷の日本の空を飛ばすことで、日本のモノづくりを活性化させるきっかけにできるのでは?と考えました。

ネジひとつの重さまでしっかりとこだわる職人の考え方や、画一された安定性のある生産力など、我々の受け継がれてきた気質の良さを後世にもしっかりと引き継いでいきたいのです。

この国で設計され、製作された飛行機を私たちの手で

日本の財産でもあるこの機体を、70年を超える月日を経て、先人の「技」を残していきたいと考えております。ただし、国内で保管するまでには多くの道のりがあります。この機体は今現在、米国で登録をされている機体なので日本での飛行には、各省庁や自治体の許可が必要となり、その許可をスムーズに得ることや、維持費やコンディション面での懸念もあります。

ただ、これからの日本の航空産業の将来、次世代を担う技術者やパイロットの育成にゼロ戦が大きな役割を果たすのではないでしょうか。いずれは重要文化財、産業文化財に指定される事を目指しこのプロジェクトを進めていきたい考えです。